「おいしかった!」としか書けないあなたへ

久しぶりに会う人と、食事をした。横須賀市内にあるタイ料理屋でのランチ。私はタイカレーのセット、彼はスペシャルランチを注文する。   

しばらくして彼の目の前に置かれた料理は、どう見ても焼きそばだった。私たちは首をかしげる。私たちが注文する時、店員はスペシャルランチについて片言の日本語でゴニョゴニョ言っており、拾えた言葉は「パスタ」だけだった。なのに、目の前には焼きそばが置かれている。この奇妙な状況。まったくおかしな話である。  

 私たちは「文章」について語っている。「子供みたいな文章になってしまう」「例えばこれなら『おいしかった』としか書けない」などと彼は言う。そうかそうか。ならば書くべきことを見つけてみよう、と私は躍起になってみる。   

その焼きそばは、どうやら辛いものらしい。彼の手が止まる。辛くて箸が進まないようだ。「箸が迷ってる」「箸が拒否した」などとブツブツ言っている。私が半分食べ終えた頃でも、彼の皿はまるでほんの数秒前に来たもののよう。ちなみに私は食べるのが遅い。それでこの状況だ。   

とうとう私は食べ終えてしまう。彼はやっとこさ半分食べ終えた程度で、皿にはまだまだ焼きそばが残っている。「ちょっと食べてみていいですか?」試食させてもらう。ん、そんなに辛いか? 私にはさほど辛さが感じられない。そう伝えると、「一口じゃわかんないですよ」「二口、三口でわかってきます」   

食べ終えた私のタイミングに合わせて、コーヒーを持ってきてもらう。黒くて苦い液体をすすりながら、彼が食べる様を見る。焼きそばは放置し、サラダやスープを食べている。   

コーヒーが半分ほどになった頃、皿に残る焼きそばを見てアドバイスをする。「あさりなら食べられるんじゃない?」そう言われた彼は、あさりを食べる。麺も食べる。麺も食べる。麺も食べる……。   

「麺、食べてんじゃん!」思わず興奮口調になる。あんなに辛そうであんなに食べるのが遅くて、「箸が拒否する」などと言っていたのに、今はノンストップで焼きそばを食べる彼。どうなっているんだ。やっぱり辛くないのではないか。辛かったのは焼きそば以外のサイドメニューだったのではないか……。       

──とまあ、こんな調子で、文章はどこまでも書き続けることができる。    

なぜか? 

  「目で見たことを、思い出して」書いているから。   

もっと細かい描写をすれば、文章はあっという間に2倍3倍にもふくれ上がる。   

「おいしかった」としか書けないあなた。果たしてそれは事実でしょうか?   

細かいことを書かずにいるだけで、本当は書けるのではないですか?   

答えを待たずとも私なら、「絶対そう」と言い切りますよ。  

味のことを書きたい気持ちはわかる。わかるけれど!

書くべきことは味より何より「5W1H」であり、その場の描写なのです。

味について書かずして、味を連想させる。これこそが文章の醍醐味!