大好きな小説家、島本理生の小説『リトル・バイ・リトル』の解説に、こんな話が載っています。
「小説というのは、どうやって書いたらよいのでしょうか?」
と若き日の林芙美子は、”小説の鬼”と呼ばれた作家、宇野浩二に尋ねたという。林芙美子というのは、後に『放浪記』を書いて、広く愛される作家になった人である。宇野浩二と初めて会った時は、まだ女学生だったという。
島本理生著『リトル・バイ・リトル』解説より抜粋
「小説というのは、どうやって書いたらよいのでしょうか?」
この素朴すぎて感動的ですらある質問を、よくぞ口にした。さすが林芙美子、と私は思うのである。
対する宇野浩二の答えも、質問と同じくらい素朴なものだ。曰く、
「話すように書けばよろしい。これは武者小路実篤氏が祖です」
簡明にして的確に、浩二は核心を述べている。いや、大袈裟に言うのではない。話すように書く――そういう文章が書ければ、それは小説になる、と言っているのだ。
宇野浩二という人は、先年亡くなられた水上勉さんが師と仰いだ作家で、文字通り生涯を文学に捧げた人である。たとえ無名の女学生からの質問だからといって、こと文学に関しての問いかけに、その場しのぎの適当な答えを返すとは思えない。
「話すように書けばよろしい」
やってみればわかるのですが、「話すように書く」という行為は簡単なようでいて、なかなかすぐにはできません。書けるには書けるけれど、読み物として成り立つかどうかが難しい点だと思うのです。
「話すように書けばよろしい」
これは小説の書き方についての回答ではありますが、私たちがブログなどの文章を書く時にも使える方法だと私は考えます。
その理由を私なりの解釈で述べるならば、「私たちは『私』という人間について、他の人に知ってほしいという欲求がある」から。
私たちは、自分の身に起きたことを他の人に話します。これは特別なことでもなんでもなく、誰もがしているごくありふれた行為です。
ブログを書いている人なら「自分の身に起きたことを書く」ということもしていますよね。その理由はもちろん、自分の身に起きたことを他の人に知ってほしいからですよね?
みんなみんな、自分のことを他の人に知ってほしいと思っている。そうでなければ自分の身に起きたことを他の人に話すはずがありません。
話せるならば書けるのです。それが、「話すように書く」のが良い点だと私が確信するところです。
とは言っても実際どうやって書けばいいのか?
その方法は簡単です。
「録音した話を書き起こす」ということをすればいいのです。
ライターならば当たり前のように行う「書き起こし」。それは録音された声を文字にかえる作業です。慣れるまでは時間がかかる作業ですが、録音時間が1分やそこらならばそれほど時間はかかりません。(慣れないうちは録音時間の5倍程度を見積もるとよいでしょう)
そういえば、アメブロには「こえのブログ」という機能がありますので、これを使うのもよいでしょう。最大3分まで録音ができて、喋った内容が字幕として書き起こされるので便利です。(とはいっても誤字脱字は発生しますので、その部分だけ後で直すイメージ)
ぜひやってみてください。自分が話す時の癖がわかりますし、「人は案外余計な言葉(あ〜とかう〜とか)を発している」ということにも気付くはず。文章でも余計な言葉(過剰な形容詞など)を入れてしまいがちですよね。
そして何より、書けない人が陥りがちな「書くことがない」理由にも気付くでしょう。
書くことがない状態では話すこともできないのです。

言葉を使って何事かを人に伝える意味では話すも書くも同じ。
書けないならば話してみればいい。
書くことも話すこともできないなら、書けない理由は自ずと見えてきますよね。
「話すように書く」この一見何の変哲もない言葉の中に、ものすごく多くの意味が含まれていそうで興味深いです。
「話すように書く」高名な小説家のセリフです。あなたもぜひ一度、「話すように書く」を試してみませんか?