「断る」行為って大変なのよ

「断る」ことについて書きます。   

私の彼のともくんは、うちに来る時、ピザとか大量のパンとかを買ってくることがよくあります。 

100%必要ないので「いらない」と言っても、「食べて食べて」と猛烈にしつこく食べさせようとします。   

次に来る時もまた何かしらの食べ物を買い込んできます。

「いらない」と言っても買い込む。困った人です。

愛弟子たーちゃんは名古屋に住んでいます。

私に会う度、名古屋名物えびせんべい『ゆかり』を持ってきてくれます。   

だけど毎回毎回そんなにたくさんもらっても、私は一人暮らしだし、食べきれない。

「今回は金のやつ」みたいな感じで、毎回違うものを買ってきてはくれるのですけど、私は一枚もらえば十分。

だから、断りました。えびせんはもういらないと。

すると次からは、私の好きなコーヒー豆を持ってきてくれるようになりました。   他にも何やらちょこちょこしたものをくれますが、そっちはいらなかったりする。

そうは言ってみたものの……。

世の中には「お土産を買ってあげたい!」と強く願う人がいるのですよね。

半年間のライター養成講座を開講している時は、地方から参加される方が多かったせいか、みんながたっぷりお土産を持ってきてくれました。

最初は「わあすごい!」と嬉しかったのですが、甘いものばかりそんなにもらっても……と、次第に「そんなにいらない」と思うようになりました。

だから、断りました。   お断りした上で、「果汁100%のジュースなら嬉しい」とこちらからお土産を指定する始末。

世の中には「お土産を買ってあげたい!」と強く思う人がいるのです。

私は、うちに来る人が何も持ってこなくてもなんとも思わないし、むしろ変に甘いものを持ってこられても、と困ることが多くあります。

欲しい物を事前に聞いて、それを持っていくことはあっても、私が勝手に何かを選んで手土産を持っていくことは、今ではほとんどありません。

だいたいにおいて、私にはお土産のセンスがないようなのです。

どうせ持っていったものが喜ばれないなら、「私自身がお土産だ!」と自分に言い聞かせる方がいいかなと。   訪れた先で私ができることを存分に披露する。その方がいいかなと考えております。

ということで話がそれましたが、「断る」という行為には労力を伴います。

いらないものはいらないと言う。ほしくないならほしくないと言う。

それは決して悪いことではなく、お互いにとって「疲れない」ことへの第一歩かと私は考えます。

だけど人によっては、「何も持ってこないんかい!」と思う人もいるでしょう。

そう言われても……

こういう人もいるんで!   右に倣えができず恐縮です。   

手土産はないけれど、現場でエンターテイメントはご提供いたします。   


 人に喜んでもらう方法。それは必ずしもひとつではない。

手土産もひとつの方法。エンターテイメントもひとつの方法。

みんなそれぞれ、好きにやったらいい。

だけどされていやなことは、いやだと言ってもいいと思う。

それこそみんな、好きに言い合えばいいんじゃないかな。

私はそう考えますが、あなたはいかがですか?